マルクス・アウレリウス
今回はローマ帝国5賢帝時代最後の皇帝、マルクス・アウレリウスの名著”自省録”をご紹介いたします。
マルクス・アウレリウスといえば、幼少時代に哲学に熱中し、以前お伝えしたエピクテトスを敬愛していた人物としても有名です。
大きくなったら哲学者になるんだと過ごしていたにもかかわらず、運命は彼をローマ帝国の皇帝へと押し上げていきます。
本書は、そんなマルクス・アウレリウスが荒れ狂う時代の波にのまれながらも、決して自己を見失わず、生き抜いていった人生の秘訣をここにまとめていきたいと思います。
彼は混沌の時代を生きながらも、読書と瞑想と日々の日記をルーティーンにしていたと言います。その日記こそ、今回ご紹介させて頂く、”自省録”となります。
私は皇帝だが、賢さも才能もない
本書の中で、マルクスは”自分には賢さも才能もない”と、繰り返し省察しているように見受けられ、むしろ”そんなものなどいらない”とまで述べているように感じました。先天的に得られる才能ではなく、あくまでも誠実、親切に生きることを心がけているように感じます。
そして、そのように
徳のある人間は後天的な努力で至ることが出来、誰にでもなれる
と本書で述べられています。
欲望のコントロール
そんな徳のある人間を目指したマルクスは、溢れ出てくる人間の欲望に対しての処世術を教えてくれます。
それが
”欲望の対象を自分次第のものに限る”
”自分の力でどうにかできる範囲に限る”ということです。
これは以前紹介させて頂いた、エピクテトスの考え方と酷似していますね。エピクテトスたちが主流としてるストア派の哲学者たちの根本が、この”自分次第なものとそうでないものを見分ける”ということを一つの極意にしているようにも感じます。
近年では嫌われる勇気等で話題となったアドラー心理学にも、”課題の分離”という考え方がありますね。改めて”自分次第のこと”と”相手次第のこと”を分離するというのはとても重要な概念だということが、うかがえます。
自分次第のことに集中していれば、例え誰になんと言われようが、自分の行いが善い行いと思えば、それでよいし、何かの拍子に間違いだと気づけばそれもよし。
自分が間違った道を歩んでいても、善い道に戻ろうとしているならばそれでよし。
もちろん、徳を積むということを前提に。
そんな考え方が、個人的には大好きです。
対人ストレスを無効化する方法
怒涛の時代の皇帝ですから、対人ストレスは半端なかったことでしょう。自分がなりたくて皇帝になった訳ではないのでなおのことだと思います。そんなマルクスが大切にしていたことが、アパテイアという考え方です。これは日本語に訳すと”不動心”と訳され、 この境地に至ることができるように、毎日省察していたと言われています。
正しいことをして軽蔑されることはよくある
皇帝という立場ですから想像以上に色んな人に、色んなことを言われてきたのだと思います。例え人に善いことをしていても、一定数の人は反対したり、軽蔑したりします。それは当然だとマルクスは説きます。そんなのは無視だ。気にするなという熱いメッセージにも私は感じました。
現代版で言うと、2対6対2の法則とも重なりますね。
どんな人にも、その人を好きな人が2割、どちらでもない人が6割、嫌いな人が2割存在すると言う法則です。
なので、無視です。気にしません。
不動心の作り方
その上で、マルクスは不動心(アパテイア)を形成することこそ大切だと説きます。人間は怒りや悲しみの手前に判断があると言う説明の上で、何事も解釈の方法により、感情が左右されるという考え方です。これもエピクテトスやアドラーが説く概念と似ていますね。
確かにその通りです。例えば、上司に理不尽なことを言われて”なにくそ”とは思いますが、同じことを、小さなこどもに同じことを言われても気になりません。
同じこと、という事実は一つでも、解釈は無限です。
特に怒りという情念(感情)はアパテイアを遠ざけます。気をつけましょう。
そのように心が乱されない状態を不動心といい、マルクスはアパテイアと呼んでいました。
恩返しを求める人がいる
自分がされたことに対しても不動心ですが、したことに対しても不動心です。
マルクスは葡萄の木を例に話をしてくれます。葡萄は一度実をつけるとそれ以上を求めません。もっともっとと言ったり、見返りは決して求めません。善行というのは見返りを求めないものですと説きます。
社会には恩返しを求める人も確かにいます。ただマルクスは、恥知らずな人間がこの世に存在することなどありえないと言います。そして、世界にありえないことはない。なぜありえないことを信じているのかと続けます。なんでこの人はこんな性格なんだと考えなくていいです。その人は、その人。
自分次第のことに集中して、不動心を得よ。
と言っているように、私は感じています。
心を整えるナイトルーテイン
先述したように、この”自省録”は、マルクスの日々の内省による日記です。そのため、マルクスは日々のナイトルーティンをとても大切にしていました。
そこで大切にしていたことが
・自分のための時間を確保する
・情報を絞る
・死に対する意識を常に持ち、そばに置く
ということです。人間の一生は短いです。他人の中に幸福を求めず、自分次第のことに集中しましょう。自分が死すべき存在であることを改めて感じ、毎日を人生最後の日として生きることで、穏やかな、不動心が生まれます。
上記のことを大切に、日々を振り返っていたのではないかと私は感じています。
まとめ
いかがでしたか?
今回はマルクス・アウレリウスの自省録を読んで感じたことをまとめました。
自分次第のことに集中し、徳を積みながら、不動心を得て、人生を集中させるために、私の中ではとっても役に立つ考え方を形成させてくれた名著です。
本書の中にはより詳細なエピソードやこの中では紹介できなかった考え方もたくさんありますので、ご覧になったことがない方は是非、お手に取ってご覧ください。
最後に、マルクスが毎晩の瞑想の中で大切にしていた言葉を引用し、締めとさせて頂きます。今日も善い1日となりますように。
今日まで君は、どんな態度で過ごしてきただろうか、神々に対しても、両親、兄弟、配偶者、そして教師や友人に対しても、誰に対しても、君はひどい扱いをしたり、ひどいことを言わなかっただろうか、そして、君がこれまで経験してきたこと、耐えてきた困難を思い返してみるのだ。
自省録
君の人生の物語は今ここで終わった、世のため人の為にやれることはもうない。任務は終了したのだ。今こそ思い出すがいい、これまで、君が見てきた美しいものを、そしてどれだけ多くの苦痛や快楽に負けず、どれだけ多くの名誉にとらわれず、どれだけ不親切な者達に親切な態度を示したかを。
さぁ、思い出してみるのだ。
ではまた!